誰が誰を裁くのか?

 

僕達の生きるこの世の中に、責任と言う言葉がある。

多くの人は、責任と言う重圧の中で、物事も判断する。

 

誰かが、犯罪を犯し、責任と言う能力も査定される。

そこで、責任能力が無いと判断されると

その犯罪者の行く末も変わる。

ならば、最初から責任と折り合いを付ける

多くの一般人は、責任と言う社会通念に、縛られている様にも感じる。

 

そして、その責任の基準も、大元は、矛盾や数人の人達で

決めてるわね(⌒‐⌒)

 

レナ異星人!( ̄▽ ̄;)

そこは、僕の台詞だ!( ̄▽ ̄;)

 

多くの人は、人に依存して、その方が楽だから、それに従うのよ。(⌒‐⌒)

 

でも、それでは、犯罪者だらけになりそうだけどなぁ( ̄▽ ̄;)

 

 

それは違うのよ。(⌒‐⌒)  ひさよし(⌒‐⌒)

お多くの人が、自分らしく生きれば、自然と相手を思いやる

愛が生まれるのよ。(⌒‐⌒)

人を信頼して、自分を信頼するのよ。(⌒‐⌒)

 

本当はね。(⌒‐⌒)

 

誰かに従うんではなく、

誰かと共感するのよ。(⌒‐⌒)

 

共感して行けば、上も下もないし、自分を受け入れてくれる人や

受け入れる心も波紋していくのよ。(⌒‐⌒)

 

だから、もしかしたら、あなた達の言う犯罪者は犠牲者でもあり

何かの、目に見えない警告なのかも知れないね。(⌒‐⌒)

 

 

人は自分を裁けないし、他者も、裁けない。(⌒‐⌒)

 

究極の愛かもね。(⌒‐⌒)

 

あなたの事は、誰も裁けない。(⌒‐⌒)

あなたの事を悪く言う人が居るならば

その人は誰かを裁くことは出来ない。k(⌒‐⌒)

 

何故なら、愛を知らない人だから。(⌒‐⌒)

 

あははは(笑)(⌒‐⌒)

 

今日はこの辺で。。( ̄▽ ̄;)