一生の選択は何時だって一瞬
誰かが言っていた
人間が一日に、何かを決める判断や選択は何千回にもおよぶと
朝目を覚まし、歯を磨くタイミング、出掛ける前に靴を右から履くか
どんな本を読もうか、どの番組を見ようかと無意識で判断していることの方が多いそうだ
だとすれば、昔より、現代の方が選択、判断の回数は多いはずだ
昔より、現代の方が情報量が多いからだ
ネットに溢れる情報を精査したり
あそこのスーパーより、こちらのドラックストアーが安いだの
電車は何線で乗り換えが最短だとかと
現代は便利がゆえに、選択肢は広がり判断は最善でありたいほど
時間が無いと忙しい人は判断の回数は多いはずだ
なかなか皮肉なことかもしれない
判断の回数や選択の数が多いほど、悩み頭を使うから休む暇がない。。。。。。。苦笑い(;^ω^)
もちろん
選択や判断が強制的で選べないときもある
そんなときは、運命なのかもしれない
あの有名な
アドルフ・ヒトラーは
本来は芸術家志望であったが、美術学校に落第し挫折を味わい
諦めた、その後、軍隊に志願して、大統領と首相を兼任し国家元首(フューラー)となり、独裁体制を確立させている。
都市伝説ではありますが。。。
あのアメリカ大統領暗殺された
ジョンエフケネディーは
日常で姿勢を矯正するために身体にコルセットをつけていたと言われていて、パレードのときに1発目の銃弾でコルセットが邪魔して
前に倒れにくく、その後、数発の銃弾を浴びてしまったとも言われている
もし、コルセットを外してオープンカーに乗っていれば
1発目の銃弾の反動でうずくまっていれば、もしかしたら命は助かっていたこしれない。。。
都市伝説ではありますが。。。
そして、どんなに思い悩んで、長い時間をかけた決断でも
一生の選択は何時だって一瞬だということ
どちらかを選択して、判断して、決断を下す瞬間は一瞬である
決断は一瞬で、その理由に時間をかけているだけなのである
僕たちの一生は、そうやって流れているのならば
普段から、訓練して最善の選択、判断をしようと考えるであろう
でも、それは同時に悩みを増やすことになるのでは無いかと思う
結果は、何時だって分からないからだ
もし、決断したものと違う方を想像した所で、絶対的な現実は訪れないからだ。
ならば、そんな訓練はストレスになるだけ
なるべく、普段の選択や決断の回数を減らし
平穏な心を養い
感性を研ぎ澄まし心の声に従うことが大事だと思う
その方が、後悔は無く、腹をくくることが出来るからだ
すなわち、自分を信じる心が覚悟をうむ
訓練した決断や判断は、欲やエゴに惑わされた、所詮、自分の都合の良いものだからだ
ラジオで、おしゃべりしています(^^)v
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