余命宣告の日が延びる人達

僕は遺品整理屋だ

色々な相談を受ける中で、余命宣告をされて生前整理の相談を受けるケ一スもある


そんな時の僕が悲しむことは無い、同情みたいなものは無いということだ


どちらかというと僕は、お疲れさまでしたと言った感じだ


何故かというと


同情するには、本人に軽々しいのではないかと思うし


僕が悲しむには、まだ、早い←本人は生きている


それに僕は、


余命を宣言されても今もなおピンピンしている人を知っている

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↑余命2ヶ月宣言を受け、既に半年を経過している


末期ガンと宣言された人達が治ってしまった人達を知っているからだ


そんな人達には、ある傾向があることも知った


そんなことを書いてみる


まず、1つは


末期ガンや余命宣言されたことにより寿命が伸びているということだ


これはどういうことかと言うと、僕なりの解釈だが


命の宣告により


生き方が変わるということだ、もちろん生活習慣も含めてだ


残りの人生を自分らしく生きて愛の度数が高くなり自然のリズムを


体感することにシフトすると宣告は昔のことになるらしい


もう1つは


余命宣言や末期ガンを受け入れている状態の人達だ


これはどういうことかと僕なりの解釈だと


病気と闘わないということだ


もちろん現代医学を否定するとか薬を飲まないとか、そういうことではない


そういう治療を受けながらも病気と闘ったり退治するとか


立ち向かうということを放棄しているように思う


良い意味でジタバタせずに不安にかられて予防とかもしない


あるがままを受け入れているので、諦めみたいな


しかたがないと笑い吹き飛ばしている



僕は、こんな質問をしたこともある


しかたないと今は、僕の前で笑ってるけど


夜一人になり死ぬことに不安になり怖くなることは無いのですか?



受け入れている人は、こう言う


そりゃぁ


夜一人になったら自分の死を考えるけれど、怖いとか不安はないよ


だって、いずれ死ぬんだから、余計なことは考えないよと言う


それに、病気と闘ったって戦わなくたって人は死ぬんだと言う



それが自分の寿命だと腹をくくっている



こんなケ一スもある


余命を宣言され、部屋を整理したら余命が延びる所か病気が治ってしまったと言う人達だ。

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↑何時亡くなってもいいように箱積めして整理している


だから僕は、余命宣言を受けて、お部屋の整理の相談をうけても


変な同情や悲しむことは無いんだ。


お部屋を片付けるきっかけが、生き方を変える手助けでもあり


何かと戦うことではなく、自分らしくいられるきっかけになり


たとえ、少ない命でも僕と整理しながら笑ってくれれば必ず


誰かの愛の度数を上げるきっかけになると思うから


僕たちは、ご本人協力のもと密着取材させて頂いている


他者の死を知ることは自分の生に繋がり

今の自分の生き方に気づくことだと思う


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          [最後に]

自分の存在価値を考え、一人思い悩み、自らを否定している人

自分らしさとは何かと、自ら問いかけている人

この映画で必ずあなたは、覚醒する

亡き魂達の叫びが、必ずあなたに届けられるであろう

そして、あなたにとって、大切なことを知るきっかけになると思う


公開イベント11月13日 28日
御気軽に御参加下さい
joto5482.hatenablog.com



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