遺品整理屋の僕が気付いた事。
僕は遺品整理屋だ。
お客様の事情も状況も色々だ。
だれ1人と全く、同じお客様はいない。
長年、沢山のお客様と接していて感じる不思議な1つだ。
これだけ、皆が同じような考えを持ち、同じ物を持つ時代だが
だれ1人、同じ部屋や同じ人、同じ事情の人はいない。
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悲しみの中、僕達に依頼してくれる人がいる。
心残りや心の整理がつかないまま依頼してくれる人もいる。
そんなお客様のお話を聞いて僕は無力にも、
その、お客様の悲しみを受け止める事しか出来ないのが現実だ。
同情も出来ない。
僕の浅はかな経験値での同情なんかよりも
お客様の悲しみは深いからだ。
多分、僕達、遺品整理屋は同情することではなく
残された人(お客様)への気遣いが大切何だと感じている。
しかし、依頼時の状況も事情も違う、お客様でも
結果が、同じ様になる事になる人もいる。
それは、争いの中や最中の遺品整理の依頼だ。
相続争いや家庭内や親類、知人と上手く噛み合わなく進んでいく遺品整理だ。
僕が見ていると、争う人達は、必ず相手が悪くて、自分の考えを正論つける。
当たり前だ。
そして、僕が見る、これらの人達の共通点は、
争う事で、無くすものが多く、又、無くすものが大きいと言う事だ。
争いで、生み出すものは無く、築き上げるものも無くなり
同時に気付きも無くなる。
手放す大切さと、争いの無意味さを感じる僕の仕事
僕がこれに気付くと言う事は、
手放せない争いの世の中に、多くの人が身を置いているのだと思う。
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