新しい自分が見つかる場所

 

現在の僕は、都心と地方を往来して過ごしている。

 

地方には、妻がいて、家がある。

 

都心には仕事がある。

 

俗に言う、単身赴任状態で、これを週末婚とも言うのだろう。(笑)

 

地方には、山が川が海があり、食べ物がある。

 

 

都心には、便利があり、求めるものが沢山あった。

 

僕は、今の妻と出逢うまでは、都心に住むゾンビだった。

 

何時でも、何かが、枯渇していて、ゾンビの様に、求め歩いてた。(笑)

 

ゾンビの僕は、何時も社会のスピードについて行けなくて、

ゆっくりと、腕を肩の高さまで上げて、さ迷ってた。

都会では、自分自身の損得勘定も含めて、選択と判断の連続だ。

それに、輪をかけて、葛藤して、答えが見つからないまま

目の前の獲物に飛び付く、妥協もその1つだ。(笑)

 

多くの人が地方には何もないと言う。

 

今の僕は、そうには、思えない。

 人間に、もっとも大切な、自分を見付ける時間と場所がある。

 

それから、地方には余計な、判断と選択をする事もない。

 

だから、葛藤も後悔も、少い。

 

だからこそ、自分を見つめる時間が出来る。

 

都会で遊園地に行けば、何を乗るのか決断し

列に並ぶ損得を考え、効率良く、時間内で遊ぶ判断をしなければ行けない。

 

電車の時刻表は分刻みで、習い事は、溢れてる。

 

判断と決断と葛藤と後悔と妥協との連続な様に感じる。

 

分刻みで出る電車に乗り遅れないようにと必死になり

親に追い付けない子供は罵倒される。

 

遊園地で具合悪くなる子供には、折角、あなたのために選択したのにと

親は落胆する。

 

子供に習い事をさせると、最後まで通いなさいと、追い詰める。

子供は楽しく、体験したいだけなのに。。

 

そこには、

 心の何処かで、お金や月謝を払ってると言う損得勘定も頭を過る。

 

地方は、自然しかない。(笑)

それでも、今、ここを体験するしかない神秘がある。

夏の虫、魚、新緑、秋の紅葉、虫、魚、

そして、人の判断と決断をする事が、ぐっと減る。

 

電車は1時間に数本。

やるべき事も制限され、選択も減る。

 

自分を見つめ直せば、人の心も汲み取る余裕も出来る。

 

今日、食べるものは、季節の野菜。

去年食べたものと比較してみる。

新しい料理法を考える。

 

 

都心にいれば、オールシーズンの食材が並ぶ。

生産地を調べ、判断する。

 

時間が無ければ、オールナイトで外食できる。

確かに、都会は選択肢が溢れてる。

 

その分、迷いの果てに、自分の時間を削って、判断と決断してる。

自分自身を置き去りにして、自分を見つめる時間を切り売りさせられる。

 

気付いた時には、自分が何者かを思い出せずに病んでいく。

 

何だか、僕達に便利は要らないんじゃかと思う。

 

僕達に必要なのは、企業が安売りするテクノロジー出はなく

 

人の心と自然に調和したテクノロジーだと思う。

 

利益を貪る為の便利や

消費者から、摂取するような、科学や化学は、人を骨抜きにするように思う。

 

もちろん、消費者の被害者意識もうんざりだ。

何故なら、消費者の判断と決断で出した答えだから。

 

 

地方にいる僕は、そんな風に都会が見えてくる。

 

同時に、都会にいた僕が見えてくる。

 

新しい自分が見つかる場所は、不便の向こう側にあると思う。

 

仙人が山に、こもるのも頷ける。。。ガハハ(笑)