足跡を残していく写真
僕の幼き時代は、キャメラ📷を持ち、フイルムをセットして
首からカメラ📷をぶら下げて [ハイ❗ポーズ❗] という
掛け声とともにシャッター音が聞こえたものだ
そして
月日が流れ、使い捨てカメラ📷が発売され
美しい人はより美しく、それなりの人はそれなりにという
キャッチコピーと共に写真屋さんに現像をお願いしに行っていた
ここまでは、撮った写真は一発本番で、確認するときは
写真が仕上がったときに分かるという流れだった
もちろん
撮影できるフィルムの数も決まっているので無駄には使えない
また、無駄に使えば現像にもお金が加算されてしまう
現代は、スマホに携帯で、好きなだけパシッパシ
撮った写真をその場で確認して、好きな数だけ撮って保存もできる
便利な世の中になったと我ながら思う 笑笑
しかし
その便利さの中で僕らは、大切なことを忘れてしまってはいないだろうか?
僕は遺品整理屋だ
多くの人達のアルバムや写真を手にしては眺める
写真やアルバムはタイムカプセルに入れた過去の時間を切り取った映像であり
今を切り取ったものでもある
最近は インスタばえ といい食べ物や物を 足早にSNSなどにアップしていく
僕もやっている 笑笑
遺品整理で整理していく写真に インスタばえ は無い
遺品整理で手にする
切り取られた時間 写真は、大きく3つに別れる
① 人物が必ず入る
② 風景写真(紅葉など)
③ 場所(神社や富士山など)
どれも共通するのは、自分はこの瞬間、ここに居たという証
この場所にいて、この人達と時間を共有したという証である
そして
未来、被写体の修正が出来ないということだ
今、僕が、タピオカの入った容器を手にもって
自分は入り込まない時間を切り取りした写真を撮ったとしよう
この写真の10年後、もう一度、再現しようと思ったら
労力はかかるだろうが、限りなく再現できるだろう
しかし
遺品整理で手にとるアルバムは再現不可能なことが多い
本当の意味で、その瞬間を切り取るからだ
だから、僕は、こう思うんだ
人は何処に行きたいか 何を持っていたいか、そんなこと、どうでも良くて
その瞬間、誰と居たいかの方が大切なんじゃないかってね
誰かは、男性でも女性でも その瞬間 楽しく心落ち着く
そんな人といれば、どんな場所でも、どんな物でも良いのかもしれない
写真の中の 愛しき、大好きな人が
写真の中で何も言わず、こちらを見つめていて
あの日、そこに立っていて、そこに大きな足跡を残していく
どんな場所や物なんかより
あなたのとの時間が大切だったから
そんな風にアルバムが語りかけてくる
現代のような自撮りが簡単に出来ない時代だったから
遺品整理屋のデッカイ独り言
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