遺品整理屋の僕が気付いた事。

僕は遺品整理屋だ。

お客様の事情も状況も色々だ。

だれ1人と全く、同じお客様はいない。

長年、沢山のお客様と接していて感じる不思議な1つだ。

これだけ、皆が同じような考えを持ち、同じ物を持つ時代だが

だれ1人、同じ部屋や同じ人、同じ事情の人はいない。



f:id:joto5482:20160430204128j:plain

インタビュー中の写真↑
ドキュメンタリー映画のスポンサー募集中↑↑

悲しみの中、僕達に依頼してくれる人がいる。

心残りや心の整理がつかないまま依頼してくれる人もいる。

そんなお客様のお話を聞いて僕は無力にも、

その、お客様の悲しみを受け止める事しか出来ないのが現実だ。

同情も出来ない。

僕の浅はかな経験値での同情なんかよりも

お客様の悲しみは深いからだ。

多分、僕達、遺品整理屋は同情することではなく

残された人(お客様)への気遣いが大切何だと感じている。

f:id:joto5482:20160430205847j:plain

しかし、依頼時の状況も事情も違う、お客様でも

結果が、同じ様になる事になる人もいる。

それは、争いの中や最中の遺品整理の依頼だ。

相続争いや家庭内や親類、知人と上手く噛み合わなく進んでいく遺品整理だ。

僕が見ていると、争う人達は、必ず相手が悪くて、自分の考えを正論つける。

当たり前だ。

そして、僕が見る、これらの人達の共通点は、

争う事で、無くすものが多く、又、無くすものが大きいと言う事だ。

争いで、生み出すものは無く、築き上げるものも無くなり

同時に気付きも無くなる。

手放す大切さと、争いの無意味さを感じる僕の仕事

僕がこれに気付くと言う事は、

手放せない争いの世の中に、多くの人が身を置いているのだと思う。

f:id:joto5482:20160430211835j:plain

こんな庭になってしまうより↑↑

こんな庭の方が素敵だ↓↓

f:id:joto5482:20160430212140j:plain