人間は窮地に立たされて進化する。No. 2
紹介状と共に、大学病院の診察室の椅子に僕は座り
先生の言葉を待った。
原因は不明だが、入院を薦められた。
入院する日数を聞いてみた。
早くて3週間、肌の治りの進行によっては、それ以上だと告げられた。
僕は返事をためらい、通院を希望した。
言い訳は、仕事に穴を空けることは出来ない。
幸いなことに、5体は動かせる。
どうにか、ならないかと、僕は悲願した。
正直、この時の僕は、毎日の日銭を稼がなければ、生活は出来ないし
1ヶ月の間に社会とのスピードに取り残されてはと言う不安もあった。
大学病院の先生が言う事には、確かに通院をする事は可能だと言ってくれた。
治療する行程は、病院も家でも変わらないと言う答えだった。
しかし、治りが遅くなる事を聞かされた。
僕はホッとした。
その日は取りあえず、検査の為の採血と薬を処方してくれた。
次回は1週間後の検査結果を待つことにした。
検査の結果は、異常は見られなかった。
ただ、紫外線アレルギーが若干数値が高いだけだった。
ここでの総合結果は、やはり、今の仕事を離れるか
ストレスによる、紫外線アレルギーと言う判断だった。
僕は、上の空で、結果を聞き、兎に角、安眠と痒みが止まれば
それだけで満足だった。
薬を処方してもらい、自宅でのケアー方法を聞いた。
塗り薬は、一番強いステロイドと聞かされた。
治療方針は、兎に角、一時的に、痒みと炎症を終息させて
徐々に、ステロイドのランクを下げていくと言うものだった。
その後、3ヶ月もたつと、最初の酷い時の炎症は無くなったものの
酷かったのが5だとすると、3~4を往き来していた。
脱毛も同時に始まっていた。
頭皮からは皮膚が剥がれ、膿を出す様になっていた。
やはり、ストレスを示唆された。
それでも、僕は否定した。
自宅では、徐々に、身体を起き上がらせるのも辛くなっていた。
この時の僕は、身体の炎症と身体が重いのは別の事だと考えていた。
ただの、疲れと、怠けたい気持ち何だと、自分に、鞭を打った。